ねがいごと

私は毎日朝日に向かって「今日も朝を見せて頂きありがとうございます」、夕方には夕日に向かって「今日も一日無事に過ごさせて頂きありがとうございます」と手を合わせています。夜明けや夕焼けは美しいですよね。今住んでいる部屋は眺めが良いので空が広く見えます。

今年一年いろんなことがありました。元日の地震に始まり航空機火災、各国の選挙運動と偏向報道、終わらない戦争、数々の不正、個人発信の情報や意見をたくさん見ました。怒りに満ちたものも多かったです。私自身も娘に対する理不尽な攻撃を経験しました。血は出ていませんが通り魔に刺されたのと同じ痛みを感じます。「悪気はなかった」「子どものしたこと」「もう◯ヶ月も経ったのに」という言葉を浴びせられ、理由だけでも知りたいと食い下がっても「うちの子が傷つくから訊きません」これが加害児保護者の対応でした。自分たちさえよければいい、うちの子が傷つくのは嫌、他人が傷ついても知ったことではない、こんな考えをする人間がいることを私は初めて知りました。犯罪被害者の苦悩や無念が分かる気がしました。

 

もし私の子供のせいで不登校になってしまったお子さんがいたら、私ならまず自分の子を登校禁止にします。この子が原因だからです。クラス替えできるならお願いし、できなければお金をためて転校させます。何歳だろうと障害者だろうと、たった一度でもしてはいけないことがあることを厳しく教えます。自分のしたことで親が何度も頭を下げ、自身も不利益を被り、学校を変わらなければならないほど大変なことをしてしまったということを身を以て教えます。人間は行動が全てだからです。

ただ相手の親御さんの対応を見るとこの児童は普段から手がかかるのだろうとも推察されます。諭して効くようなタイプではなく、こんなトラブルはこの家族にとっては日常茶飯事なのかもしれません。こんなことで転校していては身が持たないのでとにかく保身に走っているようにも見受けられます。私にとっては恐ろしい通り魔としか思えないこの児童も親御さんにとっては可愛い息子であり、守りたいのでしょう。

 

誰にも事情はある。立場が違えば見方も感じ方も違う。「自分の正しさを押し付けないように」というアドバイスが私の頭に浮かびました。心が怒りや憎しみでいっぱいだとつい相手の不幸を願う黒い気持ちが湧いてきます。自分は悪くない、悪いのは相手だ、復讐したい、罰が下ればいいのに……。こうして復讐の連鎖や紛争が起きるのだろうと感じます。

許すとは「自分が許せない相手を他の誰かが愛してくれるよう願うこと」と本で読みました。私が許せない人のことも誰かが愛してくれますように。神さまが愛してくれますように。皆が幸せに暮らせますように。私はそう願っています。