魂に刻む

人生は儚い夢のようなものですが、ここでの体験はすべて魂に刻まれるそうです。地上では記憶障害などで忘れることがあっても、死後はもれなく残っている。誰も自身の行いから逃れることはできない。「お天道様が見ている」という言葉がありますが、正確には自分自身の魂が記録しているのでしょう。

天界に戻ったら決して触れ合えないような魂とも、地上では会える可能性があります。地上で会った記憶を魂に刻んで、死後も「あの人にまた会いたい。あの人に近づきたい」と願うから人は転生を繰り返し魂を磨くのでしょうか。その過程で元いた階層より下がってしまう場合もあるようですが……。

 

すべてのことに意味があるなら、すべての出会いにも意味があるのでしょう。人を殺してはいけない理由も「すべて意味があって存在しているから」かもしれません。その人がそこにいること、それがそこにあること。すべて意味があってそうなっているものを自分の好みで不要と判断したり消し去ろうとすることがあまり良くないというか、天界から見て「わかってないな。はい、もう一周」という感じになるのかもしれません。

ただ「すべての存在に意味があるなら殺して食べるのは良いのか」という疑問は当然出てきます。ヒトに食べられるために存在すると考えるのも傲慢な感じがしますし、悩むところです。今のところ、地上では他の生物を食べなければ生きていけない。次元が変われば、この常識も変わるのでしょうか。

私は地上で何をしても死後罰せられることはないのかもしれないと感じています。ただ、行いはすべて魂に刻まれていく。己の魂に刻まれた記憶が、後々成長した本人を責め苛むのかもしれません。今立派に見える人も昔は酷かったのかもしれませんし、今どうしようもなく見える人も、後々立派になられるのかもしれませんね。

君に会いに

恋の歌などで「君に会うために生まれてきた」といった歌詞がありますが、事実なのかもしれません。天界では会えない魂に会うために、我々はわざわざ地上に降りてきたのだろうという気がします。地上があるのは、天界ではできないことをするため。天界では触れ合えない自分と違うタイプの魂に出会い、学ぶため。そう感じます。

 

今地上にいる人たちとも、死後は会えないのかもしれません。一期一会とはそういう意味もあるのでしょうか。私の周りにいるのは、地上という夢の中だけで会える人たち。同じ時代、同じ星に生まれてくれた、ご縁のある人たち。そう思うと有り難く切ない感じがします。

私は何になりたい、何をしたいということもありませんが、一日一日を大切に。地球の自然や生き物たち、ヒトが作り出したもの、どんな出会いも「今だけかもしれない」と思ってよく味わおうと思います。

まだ夢の中

ある朝起きたとき、本当に「この世は夢のようなものなんだ」としみじみ感じました。天界にいる霊の私こそが本体で、地上にいる私はアバターのようなものである。地上で様々な経験をするために私はこのアバターと環境を設定してきた。天界の私は地上で頑張る私をいつも見守っていて、適宜ヒントやメッセージをくれている。そう感じます。織田信長の辞世の句で有名な幸若舞『敦盛』の一節に似ていますね。

 

幽体離脱経験者のお話によると、幽体離脱中はとても心地よく世界が美しく見えるそうです。魂が体に包まれているとすべての感覚がぼんやりするのでしょう。我々の意識はまだ夢の中にあり、死後魂が肉体から抜けるときが本当の目覚めなのかもしれません。引き寄せの法則も明晰夢に似た仕組みではないかと感じます。「この世界は夢で、天界の自分こそが本体だ」と気づき、本体の自分が見ている物語を変えるイメージをすると現実世界も変わるそうです。

 

この世は夢と思えば、すべての出会いや出来事が儚く美しく思えます。ぶつかり合い命をかけて戦ったことも良い思い出なのかもしれません。日々様々なことが起きますが、同じ時代にいてくれるすべての存在に感謝しながら、この夢を楽しもうと思います。

宇宙の親心

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先日ゲッターズ飯田さんの動画を見ていたら「好きというのは、相手を喜ばせたいと思うこと」というお話がありました。確かにそうかも、すごいなと感心して聴いていたところ突然「これは宇宙のことではないか?」という直感に打たれました。

水と空気と太陽があり、大気圏で守られていて、快適な気温と豊かな自然環境が保たれている。生物にとってこれほど都合のいい状況を「ただの偶然」で片付けるのはあまりにも乱暴な気がします。これを科学と呼び何の疑問も感じてこなかった我々は鈍感主人公すぎるのではないでしょうか。

この素晴らしい環境はすべて宇宙が用意してくれたものではないか。我々が魂の学びを深められるように、親が子にするようにいろいろ気遣って整えてくれたのではないか。宇宙は私たちのことが好きで、私たちを喜ばせたいと思っているのではないか。そう感じました。

宇宙は愛でできている。肉体を持つ前から肉体を失った後まで、私たちはつねに愛され見守られている。だから何が起きても大丈夫。そんな気がします。今日があってよかった。皆いてくれてよかった。全部ここにあってよかった。宇宙さん、ありがとう。私たちは宇宙に愛された子どもとして、この星でいろんな経験をすればいい。できるだけ楽しんで、たくさんのお土産話を宇宙に持って帰ればいい。日常のふとした瞬間に、ぼんやりそう思っています。

体があるっておもしろい

体があるっておもしろいんだなと最近思います。体さえなければ暑さ寒さ、痛み苦しみを感じなくてすむのに。早く体から出たい。この世はつらい場所だ。そう思っていましたが逆なんだと気づきました。むしろ体という制約を体験しに来たんだ。地上ではこの体を維持している間だけ様々な経験ができる。痛み苦しみがあるからこそ治った時の喜びや健康のありがたさが身にしみるし、空腹のおかげで食べられる幸せや満腹感、食べすぎたしんどさを感じることができる。消化吸収して排泄するとスッキリして心地よく、ときには体に悪いと知りながら嗜好品を摂りすぎてしまう。すべておもしろい感じがします。全部体があるからできることなんだ。私の体ありがとう。この世界ありがとうと思います。

赤ちゃんから少しずついろいろな動作ができるようになり、それを当然として生きながらやがて老化によってできていたことができなくなっていく。できるようになる喜びとできなくなる悲しみどちらも経験できる。よくできた仕組みだと思います。生まれつきできないことがあったり途中でできなくなることにも重要な意味があるのでしょう。喜びも悲しみも体があるから感じられる。体があるから住居や食料が必要で重力にも縛られていますが、それもまたおもしろい。私はこの縛りを楽しみに来たんだ。そう思います。

頭やお腹が痛いときも不快ではありますが「この痛みも体があるから感じられるんだ」と思うと貴重な経験というか少しありがたみを感じます。体があってこの世界にいられて色々なことを感じられる幸せ。今日があって良かったと毎日思っています。私が死ぬときはどんなふうに死ぬんだろう。死というのも体があるから経験できることですね。死んだらどうなるんだろう。どんなふうに感じるんだろうと今から楽しみです。

全てここにある

娘のアトピー性皮膚炎が悪化し、かきむしりが酷くて夜中起きたことがありました。軟膏やクリームのベタつきが嫌いでなかなか薬を塗らない娘ですが、睡眠を妨げるほどのかゆみには対処が必要です。手持ちの薬が効かなくなってきたように感じていたため皮膚科への受診を促しますが頑なに拒否する娘。成長とともに主張が強くなり体格もよくなったため強引に連れて行くこともできず難しさを感じます。オンライン診療アプリを入れていたのでそちらで皮膚科を受診することにしました。

皮膚の状態を撮影送信し、細かい症状や困りごとも入力して、ビデオ通話で医師に診察してもらいます。個人的にはとても助かる良いシステムだと思いました。FAX送信された処方箋を近所の薬局に受け取りに行くと、顔や首まわり用の軟膏と体用の軟膏があり、今までと異なる薬だったためネットで調べてみました。

www.nihonatopy.join-us.jp

アトピー性皮膚炎の塗り薬には5段階の強さランクがあり、顔や首には下から2番目、体には3番目の強さの薬が処方されていました。この表を見て今まで効かなくなったと感じていた薬が下から2番目ランクだったことを知ったのです。アトピー性皮膚炎のかゆみは幼小児期は膝や肘など手足の関節部分が多く、思春期・成人期になると上半身に移ることも学びました。娘がかきむしっていたのもまさに首や顔周りで、今までかいていた脚裏はむしろ良くなっていたのです。

hc.mochida.co.jp

今までの薬が効かなくなったと感じたのは娘が成長して体格がよくなり、体の皮膚が厚くなったためだったのでしょう。今までの薬は顔や首に使えばいいんだと気づきました。娘が1時間近くかきむしりながら夜中起きてしまったときは「どうしよう。今ある薬も効かないし」と途方に暮れていましたが、そんなことはなかった。解決策はここにあったんだと思います。

アトピー性皮膚炎について、心のどこかで「今までにない画期的な技術が開発されるのではないか。いつかかゆみから解放される日が来るのでは」と考える自分がいました。「ここではないどこかへ」的な発想です。でもかゆみが起きる仕組みを学んで「保湿が全てなんだ」と悟りました。水分を保持し皮脂で守られている肌は刺激を跳ね返すそうです。肌を乾燥させないこと、かきむしってしまったとしても肌の再生を助けること。睡眠、栄養、保湿を肝に銘じようと思います。

ここもいいかも

若い頃は生きるのがつらく「早くこの人生が終わらないかな」「二度と人間に生まれてきたくないな」と思っていました。輪廻転生の輪を抜ける、地球卒業などのワードが気になって調べたこともあります。ただ最近はそれもなくなり「ここもいいかも」と思えてきています。「この世は二度と嫌」でもなければ「死にたくない!」でもない。ここもいいかも、これもありかもと思える。地球は良い場所だけど、他の星も楽しいかも。体がある楽しみもあるけど、魂になっても楽しめるかも。あれもある、これもあると思えることが嬉しいです。

昔からずっと自分には何もないと思っていました。やりたいこと、なりたいもの、打ち込めるものが何も無い。どうしてもこれだけはという執着が無い。それでいいんだと今は思います。昔悩んでいた自分も今の自分も、それでいいしみんな必要だった。私は何者にもならずに死んでいくと思いますがそれで十分満足です。育児をしに来た自覚はあるので娘は育て上げられるだろうと思っています。

イランで多くの方が亡くなられ心を痛めています。邪魔者を殺しても目の前から消えたように見えるだけで、みんなここにいる。皆の思いはむしろ強まっていると感じます。ああすべきこうすべきと皆が投稿する、それもいいしどう考え行動してもいい。どう生きてもいい。日本でも2月に選挙がありますね。選挙が行える平和と参政権に感謝しつつ一票投じようと思います。