人生は儚い夢のようなものですが、ここでの体験はすべて魂に刻まれるそうです。地上では記憶障害などで忘れることがあっても、死後はもれなく残っている。誰も自身の行いから逃れることはできない。「お天道様が見ている」という言葉がありますが、正確には自分自身の魂が記録しているのでしょう。
天界に戻ったら決して触れ合えないような魂とも、地上では会える可能性があります。地上で会った記憶を魂に刻んで、死後も「あの人にまた会いたい。あの人に近づきたい」と願うから人は転生を繰り返し魂を磨くのでしょうか。その過程で元いた階層より下がってしまう場合もあるようですが……。
すべてのことに意味があるなら、すべての出会いにも意味があるのでしょう。人を殺してはいけない理由も「すべて意味があって存在しているから」かもしれません。その人がそこにいること、それがそこにあること。すべて意味があってそうなっているものを自分の好みで不要と判断したり消し去ろうとすることがあまり良くないというか、天界から見て「わかってないな。はい、もう一周」という感じになるのかもしれません。
ただ「すべての存在に意味があるなら殺して食べるのは良いのか」という疑問は当然出てきます。ヒトに食べられるために存在すると考えるのも傲慢な感じがしますし、悩むところです。今のところ、地上では他の生物を食べなければ生きていけない。次元が変われば、この常識も変わるのでしょうか。
私は地上で何をしても死後罰せられることはないのかもしれないと感じています。ただ、行いはすべて魂に刻まれていく。己の魂に刻まれた記憶が、後々成長した本人を責め苛むのかもしれません。今立派に見える人も昔は酷かったのかもしれませんし、今どうしようもなく見える人も、後々立派になられるのかもしれませんね。