子心と親心

私の母は1951年生まれですが「将来声優になりたかった」と言うほどアニメ好きです。ハリウッド映画も好きで吹き替え声優さんの名前を大勢知っています。私の兄が生まれたのが1979年ですが、そこから2歳差の3人きょうだいを育てながらアニメや戦隊ヒーローものをたくさん見ていました。塩沢兼人さんのファンクラブに入っており毎年はがきが届いていました。特にエリア88が好きだったようです。家にはアニメを録画したVHSテープも本棚いっぱいありました。

母は発達障害傾向があるのか片付けが苦手でお金もあれば使ってしまうタイプの人でした。そのため生活費は父が管理しており、母はお金が自由にならないストレスが大きかったようです。「働いてもいいが家事育児はきちんとしろ」といういかにも昭和な無理難題を言われてたまにチラシ配りをしていました。自身は一人っ子だったのに子供3人を育てるハメになりストレスは相当溜まっていたと思います。

 

小学生の頃、母に話しかけたところ「うるさい!」と大声で怒られたことがあります。私はその時「母は私の話よりアニメのほうが大事なんだ」とショックを受けました。ただ自分が母親になってみて、昔の母の気持ちが少しわかるような気がします。テレビに集中したいのに話しかけられたら誰でも腹が立ちます。当時の私はアニメに興味がなく母の様子も確認せずに話しかけたのでしょう。母と私は全く違うタイプなため、母は私が育てにくかったようです。子供の頃の私は「母は兄や妹のほうが好きなんだろうな」「毎晩喧嘩がうるさいな。早く離婚しないかな」「離婚するなら兄と妹は母についていくだろうから、私は父について行ってあげようか」などと考えていました。

 

両親に対してはいろいろ複雑な思いがあったのですが、今はだいぶ消化されて母とは仲良くなりました。大人同士として付き合うと面白い人だなと思います。昔の人もこうして大人になったのかななどと私は感じました。昔は結婚出産がほぼ強制でしたから、親にされた理不尽な事も自分が親となった際に事情がわかって許すこともできたのかもしれません。親の心子知らずですが、子の心親知らずでもありますね。その立場になってみないとわからないことがあるなと思います。

私が一つ心がけているのは「親の感覚は古い」と常に思っておくことです。父は再三「頼むから大学だけは出てくれ」と言っていましたが、私の時代は大学を出ただけではダメでした。第二新卒で学歴を活かせる人もいたと思いますが私には無理でした。

私は娘をフリースクールへ通わせていますが、未来のことは本当にわかりません。高校や大学も統廃合が進むでしょうし10年後どんな仕事があるのか、どんな働き方になっているか全く予想できません。ただ家賃が上昇して部屋を借りにくくなっている予感はします。なるべく娘を自立させたいのですが難しいかもしれません。いろんな可能性や選択肢を考えておこうと思っています。